日本セクションの歩み

1994年 実験教育の開始

1995年 小学生一般公募開始

1996年 中学部公募開始

1997年 高校部公募開始

1998年 サンジョセフ・ノ−トルダムのフランス人生徒にも初級日本語教育開始。

サンジョセフ学園日本セクションはまだ歴史というような重みを持っていません、1994年に始まりました。この年はただ一人小学校4年生の女子生徒がパイロット生として実験的にフランス人の中で勉強していきました。先生1人と生徒1人の二人三脚はまったくの暗中模索の繰り返しでした。


この経験で得たことは、子供の途方も無い可能性とその適応能力の大きさです、日に日に成長していく子供と歩みながら、むしろ教師の私の方が教えられていく毎日でした。

この一年の中で子供は生きていくためのすばらしい潜在能力をもっている、教育とはそれを辛抱強く信じつづけることなのだという実感は子供自身が私達に教えてくれたものです。


1995年度より、一般公募を始めています

1999年度の卒業生まで含めて21人の生徒が巣立って行きました、これらの生徒全員が私達の誇りです、確かに早稲田、慶応を始めとする学校に入りましたが、その子達がここで学んだ「自立する人間」として生きてくれていることこそが私達の何にも代え難い喜びです。

            

          サンジョセフ学園史                     

       - St. Joseph の始まりは歴史の遥か昔に遡ります...-  

1260年サンルイ王がイザベルの依頼で僧院の設立にやってきました。

1320年にはフィリプ5世が聖母マリアの巡礼地をここに設立しました。このように13世紀から<僧院、巡礼地>として始まった教育施設も19世紀の後半に大きく変換します。

 近代に入り、1863年にはルコ神父がこの区域の人々に依頼され、師弟の教育のための寄宿学校を設立しました。

 その10年前には、市議会から公立小学校の指導を依頼されたシスターたちが、この近辺で160名の生徒を受け持っていましたし、サンドニ通りでは貧困者の世話を、ラペ通りの託児所では子供達の世話をし、1857年から1882年の間は養老院としても機能していました。

 その後、生徒が増えつづけ、より広い場所が必要となったので、パルシャン通りの前市長の地所が1867年に買い取られました。1870年には、寄宿学校の拡大をしましたが、その後、戦争が始まり第2次世界大戦の時と同じようにそこは病院となってしまいました。

 それから何年かが経ち寄宿学校は拡大され、セ−ラ−カラ−に紺の帽子の制服は永い間この地の人々に親しまれていました。

 1960年のバチカン公会議の影響で、ここでも世界に対して開かれた教育を目指すようになりました。

 1987年には、学校にとってより合理的でよりよい組織のための転換が必要となりました。その時以来、サンジョセフ校とデユパンルー校との卒業生をノートルダム高校が受け入れる体制が出来ました。

 現代人の生活条件は社会的にも文化的にも根底から変貌してしまった。この新しい時代を多くの人々と造り上げるべく、<現代に生きる人間に対して福音を!>、と言う認識のもと、サンジョセフ校は、1991年新学期以後、現代社会に対応するべく改革を行い、又教師やご父母の方々、教区教会や一般の人々の協力のもとに開かれた教育活動を発展させ、現在に至っています。